澤内隆の美食修学

東京十社 とは

明治元年、明治天皇が准勅祭神社として幣吊を捧げられ、東京の鎮護と万民の平安を祈願されたお社を東京十社と言います。
昭和50年、昭和天皇のご即位50年を奉祝して、元准勅祭神社である東京十社を巡拝する企画が立案されました。
十社をめぐる道のりは、十里七丁(約40km)。
東京の今昔に思いを馳せ、格式ある十社を訪ねる旅に出てみませんか。

澤内隆(さわうち・たかし)

「地理バッ地理」塾主宰
文教大学国際学部講師
一般社団法人地域未来企画理事
港区内の女子校で地理教師を務め、退職後にリメディアル教育として地理を大人・大学生などに教える「地理バッ地理塾」を主宰し、大学や社会人向け講座などで地理を教える。
また、地理から派生し「観光」「まち歩き」「地域イベント」の活動にも取り組む。2つの大学講師のほか、帝国書院地図普及アドバイザー、クラブツーリズムテーマ旅行部アドバイザー、港区観光協会事業委員なども務める。余暇ツーリズム学会、イベント学会、日本レクリエーション協会などにも所属し多岐にわたる活動を展開している。
2013年度東京都スポーツ功労賞受賞

運営事務局 株式会社おおわだぐみ
お問い合わせ:info@ohwada-gumi.co.jp
電話番号:03-5422-1146
営業時間:平日10時~18時

御祭神
天照大御神(内宮)
豊受大神(外宮)

御由緒
 平安時代寛弘二年に創建、古くは芝神明と称したが明治五年正式に官許され芝大神宮に改称す。祭礼は期間の長さから(11日〜21日)「芝神明だらだら祭り」として知られ、生姜市、甘酒茶屋で有名、授与品には「千木筥(ばこ)」がある。これは東京の郷土玩具としても知られている。江戸時代境内でおきた、め組鳶と角力とのいさかいは「め組の喧嘩」として再三歌舞伎で上演せられ、その半鐘は今でも宝物として当宮に保存されている。

御祭神
天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)
宇賀之売命(うがのめのみこと)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)

御由緒
 文治三年(1187)、源頼朝が海上交通の安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請し、品川大明神と称した。元応元年(1319)、北条高時の臣二階堂貞藤(道蘊)が、産業の守護神として、宇賀之売命を勧請し社地を吉端岡と名付けた。文明十年(1478)6月、太田道灌が、風水害、疫病、歌謡の守護神として、素盞雄尊を勧請し6月の天王祭が始まる。東海道北品川宿の鎮守である。

御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむぢのみこと)

御由緒
 天暦五年(951)赤坂一ツ木に創祀す。紀州徳川家赤坂邸の産土神の由縁によって、江戸幕府の尊信篤く、享保十四年(1729)徳川八代吉宗公が現社殿を造営、以降十四代家茂公まで歴代の朱印状が収められている。
 現社殿は吉宗公が建立されたまま現存する他、境内には至る処に江戸の年号が刻まれた鳥居・燈籠・狛犬が数多く残り、江戸の情景が数多く残る神社である。

御祭神
大山咋神
(おほやまくいのかみ)

【相殿に鎮まります神々】
国常立神
(くにのとこたちのかみ)
伊弉冉神
(いざなみのかみ)
足仲彦尊
(たらしなかつひこのみこと)

御由緒
 江戸山王の始源は古く鎌倉初期秩父重継が江戸貫主を名乗り、館に山王社を勧請し、文明年中太田道灌が城内鎮守神と尊崇し、さらに徳川家康江戸入府に際し将軍家の産土神と崇め、社殿を造営し、神領を寄進(600石)、その祭礼山王祭は、「天下祭」「御用祭」とも称され、日本三大祭の一とされた。明治元年東京奠都と共に准勅祭社とされ、皇城の鎮護の神として官幣大社に列せられ、武蔵野開拓、大江戸の鎮護の神として広く都民の尊崇を集めている。

御祭神
菊理姫命(くくりひめのみこと)
伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冊命(いざなみのみこと)


御由緒
 天暦二年加賀一宮白山神社を現本郷元町に奉勧請す。建武四年足利尊氏公により国家平安御祈願所に命ぜられる。元和二年徳川秀忠公の命に依り巣鴨原へ遷座、慶安四年徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年現社地に移奉す。後に五代将軍綱吉公と生母桂昌院の信仰を受け、小石川の鎮守となる。
 近年6月には3000株のあじさいが群れ咲き、あじさい神社として都心の新名所でもある。

御祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)


御由緒
 元亨二年、当時の領主豊島氏が紀州の熊野権現を勧請し若一王子宮と奉斎してより王子の名称が起る。後に徳川家康公は社領200石を寄進し将軍家祈願所と定め、歴代の将軍の表敬厚く、八代吉宗公には元文二年飛鳥山を寄進し、王子権現の名と飛鳥山の花見は江戸名所として知られる。古くから伝えてきた田楽舞は、戦前「喧嘩祭」の異名で有名だった。昭和59年に復元、毎年例大祭に奉納され北区無形文化財に指定された。また、開運の御神徳を授くとする「御槍」も授与されている。

御祭神
須佐之男命・大山咋命・誉田別命
【相殿】
大国主命・菅原道真公


御由緒
 景行天皇の御代日本武尊が駒込の地に創祀、後文明年間に太田道灌が社殿を奉建した。
 現在の社殿は宝永三年五代将軍徳川綱吉が嗣子家宣の氏神社として当地に奉建したもので、社殿の他にも当時の唐門、透塀、楼門等の結構がすべて現存、国の重要文化財に指定されている。またその祭礼は天下祭として有名で今に伝えられている。
 境内は7000坪、古来つつじが岡と称せられ、今も花季には100種3000株が咲き競う名勝である。

御祭神
一之宮大己貴命(おおなむちのみこと)
二之宮少彦名命(すくなひこなのみこと)
三之宮平将門命(たいらのまさかどのみこと)


御由緒
 当社は天平二年、出雲族真神田臣が祖神大己貴命を現在の皇居大手門付近に祀ったのを創祀とし、後、時宗真教上人により平将門公が合わせ祀られ以来江戸総鎮守神田明神として広く庶衆の信仰を集めた。徳川将軍の江戸城拡張に際し、元和二年艮(うしとら)の鬼門の守護神として現在地に遷座され、歴代将軍家の尊崇篤く、神田祭は天下祭と呼ばれた。その後明治天皇の御親拝を仰ぎ、現在は東京の中心108町の氏神として崇められている。

御祭神
天満大神菅原道真公(スガワラノミチザネ)
天菩日命(菅原家の祖神)相殿に祀る


御由緒
 学問の神様、菅原道真公(天神様)を祀る。
 寛文二年(1662)菅家の後裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、地形をはじめ社殿や楼門、太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営したのを起源とする。
 爾来、亀戸宰府天満宮とも号され、朝野の信仰厚く、また、行楽の名勝地としても喧伝され、杖をひく人跡を絶たない繁栄をみせ、江戸庶民信仰の本源として関東天神信仰の中枢を占めている。
 春は梅花に藤の花、秋は菊花—四季折々の彩りは、まさに“花の天神様”というにふさわしい。

御祭神
応神天皇(誉田別命)外8柱

御由緒
 寛永四年(1627)の創建以来墨田川両岸(深川・新川・箱崎)の氏子を始め、広く人々の崇敬を集めている江戸最大の八幡様で、「深川の八幡様」と親しまれている。当宮の祭礼は深川八幡祭りとして江戸三大祭りのひとつに数えられ、氏子各町神輿53基による勇壮な水かけ祭りが知られている。平成三年に復活された御本社神輿は台輪幅五尺の日本一の黄金神輿である。また江戸勧進相撲発祥の神社としても知られ、歴代横綱の名を刻した横綱力士碑がある。